ケアマネジャー 朝比奈 美鈴
2026.01.30

ケアマネ朝比奈 第二話

 

人物紹介
      • 朝比奈美鈴

        「ケアセンターさくらの杜」に勤務する若手ケアマネジャー。
        まっすぐな性格で、利用者と家族の想いを受け止めようと日々奮闘している。

        仕事への情熱と責任感が強く、時に自分を追い込みすぎてしまう一面も。

        人の痛みに寄り添う優しさと、信念を貫く強さを併せ持つ女性。

      • 真田光

        杉並区にある介護ショップに勤める福祉用具専門相談員。
        利用者の生活に密着した提案に定評があり、冷静かつ現実的な視点を持つ。

        表情は穏やかだが、仕事における判断は的確で妥協を許さない。

     

      • 古賀忠司
        デイケア施設「アイリス」に勤める担当職員。
        明るく気さくな性格で、利用者との距離が近く、場の雰囲気を和ませるムードメーカー。
        仕事に対しては意外と真面目で、責任感の強さも見せる。
         
         

第二話

今日のサービス担当者会議は、対象のご利用者である山口様と各サービス担当者の都合もあり、通われているデイケアの会議室を借りて開催することになった。会議室のブラインド越しに午後の柔らかな日差しが差し込んでいる。窓際では観葉植物が静かに揺れており、空気清浄機のかすかな唸りが、沈黙の幕を下ろしている会議室で、ほのかな存在感を放っていた。

長机の上には書類の束と、湯気の立たない使い捨てカップ。時計の針は午後二時を指している。朝比奈美鈴は、いつも通り整然とノートを開き、すでに数本のペンを並べていた。

表紙にはうっすら手垢がついており、長く使い込まれた様子がうかがえる。彼女の癖は、話されたことすべてをメモに残すこと。要介護者の生活の質を高めるために、どんな小さな情報も見逃したくない。それが彼女の信念だった。

静かに周囲を見渡した後、朝比奈は口を開いた。「それでは......山口様のサービス担当者会議を開催します」彼女の声は澄んでいて柔らかく、しかし芯のある響きがあった。

斜め向かいの席で、真田光が無言で頷いた。背筋を伸ばし、手元の資料に視線を落とす。福祉用具専門相談員として三年目になる彼は、冷静でロジカルなタイプ。だが今日は、妙な緊張が胸を締めつけていた。

視線の先にいたのは、向かいの席でにこやかに笑うデイケアの生活相談員である古賀忠司。営業スマイルとも違う、どこか親しみのある微笑。その視線が、まっすぐ朝比奈に向けられていることに、真田はすぐ気づいた。「朝比奈さん、今日の主役である山口さんですが......」古賀が軽やかな調子で話し始めた。

「最近、リハビリへの参加意欲が高まってきていましてね。週にもう一回、デイケアを増やしてみてはと思うんです。山口さん如何ですか?」

古賀の言葉に対して、ご本人もにっこりと笑ってうんうんと頷いている。

朝比奈は軽く目を見開き、山口様ご本人に向かってすぐに優しい笑みを浮かべた。

「それは......素晴らしいですね。変化が見えてくると、こちらも嬉しくなります」古賀は満足げに頷いた。

「ええ、前回ご利用のとき、ご本人が『リハビリで身体が軽くなる』と話してくれて」その言葉に、室内の空気がわずかに和らいだように感じられた。

だがその緩やかさの中で、真田の中の何かが音を立てた。
彼は唇を引き締め、朝比奈の手元のメモが止まる瞬間を見計らって、静かに口を開いた。

「朝比奈さん、私からもご提案を」
ホワイトボードに山口様宅の平面図と福祉用具の配置を書いて、提案を始めた。

「手すりの配置とベッドの向きを少し見直すだけで、山口様の起き上がり動作が格段に楽になります。こちらが、その配置図です」古賀の眉がわずかに動いた。朝比奈はホワイトボードを眺めながら、真田の方に身を寄せた。

「なるほど......すごく具体的ですね」
真田は頷きながら、さらに続けた。

「加えて、福祉用具利用時のスティックピクチャーもご用意しました。ご本人様に福祉用具の使い方を視覚的に伝えるためのものです」
その言葉で、山口様も身を乗り出してのぞき込んできた。机に並べられた棒人間のイラスト。トイレでの立ち上がり、ベッドからの移動、手すりから歩行器の持ち替え──シンプルで、しかし動きが明確に伝わる構成だった。

注※スティックピクチャーは人の動きを線で表したもの。
朝比奈の目が、ゆっくりと開いていった。やがて、その瞳が笑みを含んだ。
「これ......すごく分かりやすいですね。本当にありがとうございます、真田さん。とても助かります。山口さんどうですか。試してみませんか?」
スティックピクチャーを読み込んでいるご本人に問いかけると、「これはいいね、是非試してみたいね。こんなものまで作れるんだね。真田さんすごいね」と笑顔で応えてくれた。

 

その言葉に、古賀の口元が固くなった。視線は真田へと向けられ、無言の火花が散った。

だが真田は、その視線を感じながらも、冷静に資料を片付けていた。

彼もまた、古賀の想いに気づいていた。そして、自分の感情もまた、静かに芽を出し始めていることを認めざるを得なかった。

会議が終わり、スタッフたちが席を立ち始める。
「おつかれさまでした」と声をかけあい、空いたカップを片づけていく。

そんな中、朝比奈がそっと近づき、声を落とした。
「真田さん......あの......今日の資料、本当に助かりました。頼りにしています」

少しだけ息を飲んだ真田は、視線をそらしつつも、静かに頷いた。
「いえ......私のほうこそ、そう言ってもらえて嬉しいです」

朝比奈は一瞬ためらい、何かを決意するように言った。
「それと......事業所に壁掛け時計をつけたいんです。時間が分かりにくくて、他のケアマネも事務員さんも、ちょっと困ってて......。仕事には関係ないことで申し訳ないんですが......お願いしてもいいですか?」
その頼みは、業務の枠を越えた、個人的な信頼の証のように聞こえた。

真田は、ふっと微笑んだ。声も自然と、柔らかくなっていた。
「もちろんです。是非私にやらせてください。得意なんで」
二人の間に、短くもあたたかな沈黙が流れた。

それは言葉にならない確かなものを含んでいて、会議室の冷えた空気が少しだけぬくもりを帯びたように思えた。
心のどこかで、わずかに扉が開く音がした。
彼と朝比奈の距離は、ほんの少しだけ、しかし確かに縮まっていた。

 
 

 

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