ケアマネジャー 朝比奈 美鈴
2026.02.05

ケアマネ朝比奈 第四話

人物紹介
  • 朝比奈美鈴
    「ケアセンターさくらの杜」に勤務する若手ケアマネジャー。
    まっすぐな性格で、利用者と家族の想いを受け止めようと日々奮闘している。
    仕事への情熱と責任感が強く、時に自分を追い込みすぎてしまう一面も。
    人の痛みに寄り添う優しさと、信念を貫く強さを併せ持つ女性。
  • 真田光
    杉並区にある介護ショップに勤める福祉用具専門相談員。
    利用者の生活に密着した提案に定評があり、冷静かつ現実的な視点を持つ。
    表情は穏やかだが、仕事における判断は的確で妥協を許さない。
  • 美田明菜
    「ケアセンターさくらの杜」に勤めるケアマネジャーで、朝比奈の同僚。
    仕事では明るく快活、周囲からの信頼も厚い。
    しかし内面には、朝比奈への複雑な感情と、恋愛をめぐる微妙な距離感を抱えている。
    仕事も恋も妥協しない、芯の強い女性。
  • 古賀忠司
    デイケア施設「アイリス」に勤める担当職員。
    明るく気さくな性格で、利用者との距離が近く、場の雰囲気を和ませるムードメーカー。
    仕事に対しては意外と真面目で、責任感の強さも見せる。

第四話

市民センター第二会議室。壁には四角く切った色とりどりの模造紙が貼られ、白い蛍光灯が淡く天井から降り注ぐ。外は夏の始まりを告げる蝉の声が、会議室の窓の向こうにまだ響いていた。

ケアマネジャー朝比奈美鈴は、背筋を伸ばして立っていた。涼しげな白いブラウスに、黒のパンツ。資料を持った手が、少しだけ緊張で震えている。

「......正直、このままじゃ出し物が足りません。参加者を巻き込む何かが、もうひとつ欲しいんです」
椅子に座る介護事業者連絡会のメンバーたちの間に、沈黙が走る。その沈黙を破ったのは、デイケア「アイリス」の古賀忠司だった。
いつも通りの自信に満ちた雰囲気で、腕を組んでニッと笑う。

静かに周囲を見渡した後、朝比奈は口を開いた。「それでは......山口様のサービス担当者会議を開催します」彼女の声は澄んでいて柔らかく、しかし芯のある響きがあった。

斜め向かいの席で、真田光が無言で頷いた。背筋を伸ばし、手元の資料に視線を落とす。福祉用具専門相談員として三年目になる彼は、冷静でロジカルなタイプ。だが今日は、妙な緊張が胸を締めつけていた。

「だったら、リハビリ体操とかカラオケ大会はどうかな? 高齢者の方に必要ですし、盛り上がると思うんだけど」
「それ、いいかも......!」と隣のスタッフがうなずく。

「カラオケか......なるほど......認知症の予防にも効果的といいますしね」と美鈴が呟いた。

古賀はその声に反応するように、少し身を乗り出した。
「朝比奈さんが司会やったら絶対ウケるよ。ね、さんもそう思うでしょ?」
「うーん、どうだろうね」と、美田明菜は笑いながらかわす。

 

部屋の隅、背もたれにもたれたまま黙っていた男がいた。福祉用具専門相談員の真田光だ。シャツの袖を無造作にまくり、静かに眉をひそめていた。
(......また、古賀は“彼女”ばかり見てる)

その瞬間、美鈴の目と真田の目がわずかに交差した。
その日の夜、真田の小さな作業部屋には卓上ライトの明かりだけが灯っていた。窓の外では、虫の声が涼しげに鳴いている。机の上には、未完成のイラストとカルタ用の紙札、福祉用具のカタログが広げられていた。
「......シャワーチェアは“し”...“シャワーチェア、安心支える入浴の友”......」

鉛筆で文字を書き出す。言葉を選ぶ指先が時折止まり、真田はため息をついた。
「......朝比奈さん、喜んでくれるかな」
その呟きが、小さな部屋の静寂に吸い込まれた。
そして三日後、完成したカルタ一式を手に、真田はイベント前日の準備会場に現れた。

「これ......使ってもらえるか分からないけど、作ってみました」
朝比奈がカルタの札を手に取った瞬間、目を見開いた。
「これ......すごい......全部手描きですか?」
「はい。ちょっと徹夜しちゃいました」
「徹夜って......でも、本当に素敵です。これ、子どもたちも喜ぶと思います」

 

朝比奈の頬に、ふわりと笑みが咲いた。その表情に真田の胸が、ふっと軽くなる。隣にいた美田が、小さく拍手を送る。
「真田くん、やるじゃない。これは当日、目玉になるかも」

当日、公民館の広場には、屋台のテントと色とりどりの旗が並び、来客者の孫たちの笑い声がこだました。
「“す”! すぐそばで、歩みを助ける歩行補助つえ!」
「取ったーっ!!」

カルタ札を手に子どもが跳ねるように笑う。その横で、その子のおばあちゃんがゆっくりとうなずいた。
「これ、分かりやすくていいわね。孫と一緒に楽しめるわ」
朝比奈はその様子を後ろからそっと見つめていた。柔らかな風が彼女の髪を揺らす。
「......真田さんのアイデア、やっぱり好評だったね」

美鈴の言葉に「うん」と頷く美田。
「あの人、意外と“熱い”んだね」

そう言うと、美田は真田のもとに歩いて行き、両手で彼の手を握った。
「ありがとう。真田くんのカルタ、マジで最高だったよ!」
「......え、あ......いえ......」
驚いたように目を丸くしながらも、真田はどこか照れくさそうに笑う。
 

その光景を遠巻きに眺めていた朝比奈の心に、モヤモヤした感情が立ち込めた。
(なによ、それ......。真田さんは......私に持ってきてくれたのに)

唇をかみしめながら、彼女はスマートフォンで写真を撮るふりをして、距離を取った。

夕暮れ。イベント終了後、人気の少なくなった駐車場。車のトランクに段ボールを積んでいた真田の背後から、足音が近づいた。

「......真田君」
古賀の声だ。
「ちょっと、いい?」
振り返ると、古賀の顔には笑みがあった。しかし、その目は笑っていなかった。
「今日のイベント、まあ......うまくいったよ。君のカルタ、評判良かったし」
「......ありがとうございます」
「でもさ。あんまり余計なこと、しないでくれるかな」
 
 

 

「......は?」
「朝比奈さんに、あんまり近づかないでほしいんだ。分かるよね? ケアマネジメントってのは、俺たちデイケアの方が重要な場面が多い。分をわきまえてほしいんだよ」
数秒の沈黙。真田はゆっくりと口を閉じ、トランクを静かに閉めた。

「......では、失礼します」

そのままエンジンをかけ、車を発進させた。バックミラーに映る古賀の姿が、薄暮のなかでじっと動かなかった。イベント後、資料整理のために訪れた公民館の一室。窓から差し込む西日が、白い机の上にカルタ札を照らしていた。
翌日のこと、真田は、朝比奈の職場に訪問した。昨日、カルタを採用してくれた感謝の礼をするためである。
「......真田さん、手、握られてましたね」

朝比奈がぽつりと呟く。
「えっ?」
「美田さんに。......少し馴れ馴れしくなかったですか」
美鈴の声には、ほんの少し刺があった。けれどその後、ふっと小さな笑いが漏れた。

 

「......まあ、感謝の気持ちなんだろうけど」
その言葉を聞きながら、朝比奈は真田からカルタの一枚を受け取った。
「“て”――“手すりは、あなたの一歩を支える味方”」
真田が帰ったあと、指先で札の角を撫でながら、美鈴は心の中でつぶやいた。
(私も......あの人の“一歩”を、支えられる存在になりたい)
その願いが、まだ小さな芽でも、確かにそこに芽吹き始めていた。

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