ケアマネジャー 朝比奈 美鈴
2026.07.17

ケアマネ朝比奈 第十話

人物紹介
  • 朝比奈美鈴
    「ケアセンターさくらの杜」に勤務する若手ケアマネジャー。
    まっすぐな性格で、利用者と家族の想いを受け止めようと日々奮闘している。
    仕事への情熱と責任感が強く、時に自分を追い込みすぎてしまう一面も。
    人の痛みに寄り添う優しさと、信念を貫く強さを併せ持つ女性。
  • 真田光
    杉並区にある介護ショップに勤める福祉用具専門相談員。
    利用者の生活に密着した提案に定評があり、冷静かつ現実的な視点を持つ。
    表情は穏やかだが、仕事における判断は的確で妥協を許さない。
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第十話

秋の午後、イチョウが色づく中、真田光はワンボックスの後部ハッチを閉めた。

車の荷台には、新品の介護ベッドが固定されている。


ベッドはパーツ数が多く、その一つ一つも重量があるため、秋になって暑さが和らいだとはいえ、営業車に積み込むだけで、シャツが汗ばむ。

シャツの襟元を指で引っ張りながらナビを確認すると、目的地まで15分ほどの距離だった。

その家は、昔ながらの瓦屋根と木造の壁が年季を感じる一軒家だった。

真田が営業車を停めると、玄関前には朝比奈美鈴が立っていた。
黒色のスカートに白いシャツ、顔には微笑み。

けれど、まっすぐな目が印象的だった。

「お疲れ様です、真田さん」
「いえ、私の方こそ。今日はよろしくお願いします」
笑みを交わしながら、二人は黙って頷き合った。
しかし、重苦しい空気が家の外からでも感じられた。
「じゃあ……行きましょうか」

朝比奈がポスト脇に設置されたキーボックスから鍵を取り出し、玄関を開けると、湿ったような濁った匂いが鼻腔を刺激した。
玄関には紙袋、ダンボール、レジ袋に入ったままの不明な物が所狭しと積まれている。
居間と、台所には、食べ残しが放置されていた。

「……これは、なかなかですね」
「はい。ちょっと……予想以上ですね」
奥の和室には、男性のご利用者様が床に敷いた布団で横になっていた。

痩せ細った手を胸の上で組み、視線だけでこちらを追っている。

「こんにちは、山田さん。今日は少しでも楽に寝起きが出来るようにと、業者さんにお願いして介護ベッドをお持ちしました。よろしくお願いします」
朝比奈の声はやさしく、ゆっくりと波のように室内に広がった。


真田は静かに荷物を下ろしながら、辺りを見回した。
ベッドを設置するためのスペースなど、当然のように存在しない。
「この状態じゃ、まず片付けからですね」
「ですね……やるしかないです」
「山田さん、ベッドを設置するスペースが必要なので、部屋の中を片付けさせていただいてもいいですか?」
山田さんは無言のまま頷いた。

朝比奈は早速手を伸ばし、散乱しているゴミを片付け始めた。

真田がふと目をやると、美鈴の手には何も着けていない。
「……素手でやるつもりですか?だめですよ。怪我したらどうするんですか」

真田はすぐに営業車へ戻り、作業用の軍手をふたつ持って戻ってきた。
「はい、これ。手、大事にしてください」
その言葉に、朝比奈の頬がわずかに染まった。
「……ありがとうございます。優しいんですね」
「いえ、当たり前です。プロなんですから」

二人は黙々と作業に進めていった。
ゴミ袋が積み上がるたびに部屋の空気が少しずつ澄んでいく。

埃でむせながらも、朝比奈は山田さんに適宜確認を取りつつ、一つ一つ手を止めることなく必要なものとそうでないものを振り分けていく。

 

「……こういう時、一人暮らしって、本当に大変ですね」
「そうですね。誰かが支援に入るかどうかで、生活環境は大きく変わりますから」
「でも……介護サービスを受け入れていただけたので、まだ良かったのかも」

途中から訪問介護のヘルパーも加わり、2時間程が経って、ようやくベッドの設置が可能なスペースを確保できた。
真田は営業車から介護ベッドを室内に運び入れて手際よく組み立てを行った。

 

介護ベッドが完成し、ヘルパーの介助で布団から介護ベッドに移されたとき、山田さんはうっすらと目を開けて小さく「ありがとう」と呟いた。
「こちらこそ、私たちを受け入れていただいて、本当にありがとうございます。」と朝比奈が笑顔で応えた。

二日後、雲がどんよりと垂れ込めた午後、真田は再びその家を訪れることになった。
そこにいたのは、あの日の快活な朝比奈ではなかった。

彼女は静かに玄関の前に座り込み、両手を膝の上に乗せていた。

「……亡くなられていたそうです。今朝、ヘルパーさんが訪問して発見されて……」
「そうでしたか……」沈黙が落ちた。

「私、あんなに一生懸命掃除して、部屋を綺麗にして、ベッドも新しくして……なのに、結局、何の役にも立たなかった」
彼女の声はかすれていた。
「お医者様じゃないから。私たちに命は救えないんですよね。どれだけ頑張っても……」
真田は、ゆっくりと彼女の隣に腰を下ろした。


「それでも山田さんは、たった一日二日の僅かな時間でも、便利な介護ベッドを使えたことで、安全で快適に最後の時間をお過ごしいただけたと思いますよ。
お一人暮らしだったので、誰かに見送ってもらうことは出来なかったかもしれませんが……」


「朝比奈さんのサービス調整が無ければ、山田さんは不便なままで、ごみが溢れた部屋の中で亡くなっていたかも知れませんし、発見ももっと遅かったかも知れません。
最期の瞬間を、それまでよりも快適な環境で過ごせた。それだけで、朝比奈さんは十分に、いや、それ以上に山田さんの助けになったと思いますよ」


朝比奈は、小さく息を吐いた。そして、うつむいた顔のまま、ぽつりと呟いた。
「……そう言ってもらえると、ちょっと救われます」


夕焼けが街をオレンジに染めていた。
真田は、公園に朝比奈を誘った。
夕方で、公園内に他の人影はなかった。

真田は、朝比奈をブランコに座らせた。

「この歳でブランコなんて、ちょっと恥ずかしいですね」
「年齢なんて関係ないですよ。疲れた時は、こうやって空を見上げるのも、いいと思います」
そう言って、真田が背に立ち、そっと手でブランコを押した。

ギィ……ギィ……。
「うわ……ちょ、ちょっと……!」
「いきますよー。もっと!」
ブランコは空に向かって何度も弧を描いた。スカートの裾が風に揺れ、朝比奈の笑い声が夜の空に溶けていく。

「……なんだか、久しぶりに、笑った気がします」
「それなら、よかったです」
「真田さん、ありがとう。本当に」
「こちらこそ……これからも、よろしくお願いしますよ。朝比奈さん」
二人の間に、あたたかな風が吹いた。
月が、街の上にそっと顔を出していた。

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