仲間と絆
揺れる心と成長
2025.11.21
ポータブルトイレ  シャワーチェア 

第三話 日焼けと急な別れ

 

人物紹介
    • 安達里美
      杉並区高円寺の福祉事業所「ケアプランセンター愛」に勤める若手ケアマネジャー。
      経験は浅いが、利用者や家族に真摯に向き合い、日々奮闘している。悩みや葛藤を抱えながらも、誰かの「ありがとう」に救われる繊細で誠実な女性。
    • 藤森友和
      利用者の暮らしに寄り添う、福祉用具専門相談員。現場経験が豊富で、誠実な対応と丁寧な説明に定評がある。
      穏やかな物腰の中に、まっすぐな情熱を秘めた人。安達にとって、仕事の支えであり、心の支えにもなっていく存在。

第三話

日焼けと急な別れ

安達里美は、朝の光がカーテン越しに差し込む中で目を覚ました。築35年の1LDK。杉並区阿佐ヶ谷の静かな住宅街にあるこの部屋は、古さの割に陽当たりが良い。
しかしその「陽当たりの良さ」も、ケアマネージャーという屋外移動が多めの職にとっては敵となりつつあった。
ベランダに干してあったUVカットのカーディガンを羽織り、シンプルなモノトーンコーデに身を包む。白の七分袖シャツに黒のパンツ。 アクセントも何もないが、動きやすさと日差し対策が最優先。
カーテンの隙間から青空を確認して、つぶやく。
「今日も晴れか……また日焼けするなぁ……」
玄関を出て、狭い外階段を下りると、隣の木造小料理屋から煮物のような香りが漂ってくる。
朝8時過ぎ、通勤する人々が駅へと小走りで過ぎていく中、安達は自転車置き場へ向かう。
会社支給のグレーの電動アシスト自転車にまたがると、サドルの冷たさに小さく身震いした。
高円寺までの15分、車道脇の狭い歩道を縫うように進む。途中、八百屋の奥さんに軽く会釈。
環七通りを越える頃には、体がじんわり汗ばんでいた。
「もうすぐ梅雨か……髪、広がるんだよなぁ」
そんな独り言を口の中で転がしながら、事務所が入る築年数不詳の雑居ビルへとたどり着く。
ケアプランセンター愛のフロアには、すでに同僚たちの気配。
紙のにおいと、ぬるいコーヒーの香りが混ざる中、里美は笑顔で「おはようございます」と挨拶し、デスクに座る。
机の上にはケアプラン3件分の資料、そしてFAXの山。
シュレッダーのゴミ箱はいつの間にかパンパン。もちろん、誰も気づかない。
(また私が片づけるんだろうな……)
そんなモヤモヤを抱えたまま、内線が鳴る。
「安達さん、例の件。藤森さんに連絡お願い」
例の件――それは昨日依頼されたポータブルトイレとシャワーチェアの手配。
ご利用者・桑田さん宅への対応だった。病状の急変リスクが高く、時間との勝負。
事務所にも古いトイレ・シャワーチェアはあるが、年季が入りすぎており、どう見ても「清潔感」は難しい。
安達は、藤森友和に電話した。彼の声は、営業車の雑音混じりでも、なぜか頼もしい。
「お任せください!デモ器、喜んで運びますよ!30分で着きます!」
(早すぎない!? 何者なの……ワープ?)
心の中でツッコミを入れつつ、安達は微笑んだ。彼のような人がいてくれて、本当にありがたい。
利用者宅へ。昭和の香り漂う平屋の家屋。
靴を脱いで上がると、畳の匂いと湿った空気が胸を締めつける。
藤森はポータブルトイレとシャワーチェアを軽々と搬入。利用者、桑田さんの身長に合わせて、それぞれの座面高さを調整していく。
その間、里美は家族と小声で病状について話しながら、心の中では(新品が間に合うだろうか)という焦りを飲み込んでいた。
桑田さんは末期がんで、いつ急変してもおかしくない状態。
それでも「最期は自宅で過ごしたい」と希望し、退院してきたのだった。
古びたポータブルトイレを見た瞬間、家族の表情が曇った。
「こちら、デモ用にご用意したものです。心置きなく使ってください。見た目以上に軽くて、使い勝手がいいんですよ!」
「……そして見た目も、思ったほど古くない……ような……」
明らかに言葉選びに苦心しているが、家族がふっと笑ってくれた。
その一瞬の和やかさが、何よりも貴重だった。
「今、藤森さんの事業所で新品を発注しています。3日後には届きますから、ご安心くださいね」
しかし、その安心は、あまりに短かった。
事務所へ戻る途中、ポケットのスマホが震える。
画面を見ると、桑田さんの家族からの着信。嫌な予感が的中した。
「……申し訳ありません。先ほど……」
桑田さんが急逝したのだった。
静かな涙のような声に、安達は言葉を失った。電話を切ったあと、公園のベンチに腰かけ、手の甲で目頭を押さえる。
さっきまで話していた人が、もういない。
初めての体験だった。
その横で、鮮やかな紫陽花が雨を待つように咲いていた。
夜、阿佐ヶ谷駅近くの喫茶店「ミモザ」。
昭和レトロな内装の中、安達はケーキセットを前に、そっとスマホをテーブルに置いた。
そこに、LINE通知。藤森からだった。
《今日は色々あり大変でしたね。私もショックでした。でもおかげさまで、今日の件を聞いた別のケアマネさんが新しいお客様を紹介してくださって、発注していたポータブルトイレとシャワーチェアはそちらで使われることになりました》 短い文なのに、胸がじんわり温かくなる。
イヤホンから流れてきたのはPrismの「雨降るフィルム」。
涙まではいかない。けれど、なぜか少しだけ視界がにじんだ。
明日もまた、日焼け防止の服を着て、自転車を漕ぎ続ける。
いつか頑張る自分に気づいてくれる誰かに出会えると信じて――

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